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いすゞプラザ見学ウォーク

 投稿者:たなちゃん  投稿日:2018年11月29日(木)20時01分51秒
  11月29日いすゞプラザ見学してきました
 
 

鎌倉にて

 投稿者:たなちゃん  投稿日:2018年11月27日(火)20時26分4秒
編集済
  8月に訪れたときの写真です
鎌倉市常楽寺で見た山門と疲れきったたなちゃんです

 

紅葉

 投稿者:たなちゃん  投稿日:2018年11月25日(日)05時47分32秒
  横浜市舞岡公園の紅葉
11月24日13時現在
 

晩秋の藤沢

 投稿者:たなちゃん  投稿日:2018年11月23日(金)20時40分7秒
編集済
  一人何をされてるのでしょうか
奥田公園にて
新林公園の木々が紅葉してきてます
古民家でいろりを囲んで鍋料理で体を温めたいですね
 

100万両当たった

 投稿者:たなちゃん  投稿日:2018年11月23日(金)06時43分6秒
編集済
  川澄様
ご丁寧なコメントありがとうございました

家の万両がきれいに実をつけた
 

たなちゃんへ

 投稿者:川澄武雄  投稿日:2018年11月21日(水)19時56分27秒
  今日は小春日和でした。湘南海岸公園の例会でしたが、上空はかなり湿っぽいのか富士山は
うっすらとしか見えませんでした。引地川沿いを歩いている時、不覚にも木の根に躓いて
相撲の突き落としを食らったように、前のめりに転倒しました。

たなちゃん殿の戸塚・切り絵展には驚きました。鞍馬天狗(古!)のように、神出鬼没!!
本当に有難うございます。広報部長の阪本さんが・・HP,会報編集の合間に徹夜で仕上げた?
作品です。阪本さんのやさしさ、繊細さがよく見えますね。私も前回の例会のあと、川柳の
金子勝彦さんと山岳スケッチの中村弘道さんと食事をしている時に、展示会の話を聞き、行って
きました。FWAウォーカーにはアーティストも多く、1月号作品展を楽しみにしていていて
下さい。12月号の伊藤るみさんの切り絵もとてもきれいです。ただ残念ながら会報のモノクロ
印刷では、その美しさを表すことが出来ません。近々のHPでカラーをご覧いただけますが。

1リーグ時代の阪急ブレーブスについて、よく思い出していただきました。天保義夫は巨人キラー
で名を挙げました。帽子を飛ばしながら投げていました。もう1人が今西錬太郎、捕手は日比野
だったかな?1リーグ時代ですから、阪神の藤村兄弟、梶岡、土井垣、別当 巨人の川上、青田
千葉、中尾 南海の鶴岡、蔭山、飯田らを見ていました。
浜崎監督については、毎日オリオンズの湯浅監督と投げ合ったゲームを見ています。後に知った
ことですが当時2人とも50歳くらいだった。要するに消化試合のイベントだったのでしょう。
2人がそんなにガンガン打たれていた記憶はないのですが・・どんなゲームだったのかな?

タナちゃん殿 年内の例会にぜひ参加してくださいよ。ウォークメイトは如何ですか?
楽しみにお待ちしています。





 

話題がそれますが

 投稿者:たなちゃん  投稿日:2018年11月21日(水)05時45分58秒
編集済
  先日戸塚駅に来たので戸塚区民文化センター(サクラプラザギャラリー)に寄ってみたら戸塚切り絵同好会の作品が展示されてました
ここにFWAの役員の作品が展示されてました

あまりの素晴らしさに 感動した
それではその作品です



錦秋の京都&山里の水車

画像大きくなりますよ
 

S25年ごろ

 投稿者:たなちゃん  投稿日:2018年11月19日(月)06時46分40秒
編集済
  雑誌野球少年を愛読してました
2リーグに分かれたのはS25年ですね
そのころの阪急ブレーブス
投手もやってた浜崎監督だったとおもいます
あと天保投手も思い出されます
他に阪急のことは覚えてないです


 

すばらしい写真!

 投稿者:川澄武雄  投稿日:2018年11月18日(日)21時54分34秒
  八柳さん いい写真ですね。いつ頃の写真かな?関根さんの若さから見て70年代かな。
右側はどう見ても石井藤吉郎さんだと思います。大洗の旅館の息子で早大では伝説的な
存在です。私達が卒業してすぐに藤吉郎さんが監督になったはずだから、平野さんは
早慶戦で藤吉郎さんをよく見ているはずです。写真の神宮球場がきれいですね。

関根潤三は元祖2刀流です。昭和20年代に近鉄の主力投手として投げました。ただ近鉄は
弱小球団でしたから、勝ち星がなかなかつかない。その内に打者に転向して、ベストテン
入りしていたのではないでしょうか。後に巨人に移籍したかな?とにかく投打ともに
良いプレイヤーでした。だから大谷も関根流にまずは投手、のちに打者に転向もありと
思うのですが・・ベーブルース好きの米国では両方みたいということになるのでしょうね。
私は小学生の頃から阪急沿線なので、阪急ブレーブスの子供の会にはいって中学校を
卒業するまでどれほど阪急のゲームを見たか・・(少額の年会費でベンチサイド特別席で、
年間通して無料で観れました)。阪急が貧打線で弱小球団だった頃、西本幸雄監督はエースの
梶本隆夫を投手間隔の間一塁手をやらせ打者として起用していたことがあります。
阪急vs南海を一番多く見ましたが、南海の蔭山監督の野球を見たかったですね。監督就任が
決まった途端病死したと思います。


 

六大学選抜SFシールスに善戦

 投稿者:八柳 修之  投稿日:2018年11月17日(土)12時03分1秒
  1949年(昭和24)当時、私は小学5年生、雑誌「野球少年」を愛読する野球少年でした。SFシールスは巨人軍、全日本選抜などと6試合行いましたが、いずれも歯が立たず、3A、アメリカの野球の水準の高さ見せつけるものでした。そんな中、最後に6大学選抜との親善試合が行われ、法政の関根潤三投手が延長13回完投、4対2で敗れましたが、オドール監督を驚かせました。

なんで、そんなこと知っているかって。私の妻の姉の夫が当時の六大学選抜メンバー、荒川宗一
から聞いた話です。メンバーは、早稲田:蔭山(のち南海)宮武(捕手)、石井藤吉郎、荒川宗一、岩本暁(3人は早稲田のスラガーといれたそうです)慶応:岩中、徳丸、法政:関根。東大:加賀山(加賀山国鉄総裁の甥、のち国鉄常務理事)ほかの選手も聞いたが失念。

 この戦後の六大学野球選手は絆が強く、毎年、秋、OB戦をやって交流を深めていました。関根さんはプロで打者、監督、解説者として活躍され、ダンディで赤いベルトがお似合いでした。
当時のメンバーは大半物故れましたが、関根さんはお元気なそうです。
上の写真:関根さんを挟んで左側が荒川宗一、右側の方は不明です。、
 

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